『鬼は外』でも怖い鬼ばかりじゃないよ。親しみのある鬼が登場する漫画3選

節分に豆を蒔く意味は?
2月3日は節分。節分とは立春、立夏、立秋、立冬の前日を指す言葉で、季節の変わり目として古くから様々な祭事が行われています。平安の頃に始まった悪霊払いの行事から、「豆(まめ)」を「魔(ま)」を「滅(め)っ」すると言い換えて、悪霊を追い払う際に豆を蒔くようになったとのことです。
そうして豆を蒔く時の掛け声は「鬼は外、福は内」が基本です。しかし「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる東京都台東区にある真源寺など鬼子母神を祀る寺社や、埼玉県比企郡にある鬼鎮神社などでは、掛け声から「鬼は外」を無くして「福は内」のみとしていたり、「福は内、鬼も内、悪魔外」のように叫びつつ豆を蒔いたりしているそうです。
一般的には恐怖の対象でしかない鬼と共存するという寺社の由来に適っているのはもちろんですし、祀っている鬼を追い出したのでは元も子もなくなってしまいます。この辺りのおおらかさも日本独特の習慣かもしれません。それに、もしかすると鬼であっても歓待することで何らかの恩返しをしてくれるかもしれませんしね。そこで今回は【親しみのある鬼が登場する】漫画を3作品紹介します。
親しみのある鬼が登場する漫画3選
■『鬼灯の冷徹』(江口夏実/2011~2020年)
舞台は鬼や亡者がひしめく地獄。そこで閻魔大王の第一補佐官を務める鬼灯(ほおずき)が主人公です。見た目こそ視線の鋭い青年ですが、耳が尖っていて額の中央に5センチくらいの角があります。そんな彼が地獄における事務から現場仕事、果ては雑用までこなす様子を描いています。基本的には有能ですけれども、性格と言動にとげがあるのが玉に瑕。それでも周囲の人(鬼)望は厚く、彼なしでは地獄の運営は回らないほどです。まれに現世へと遊びに来ることもあり、そこでも有能さを遺憾なく発揮しています。
物語や絵画などに登場する地獄は悲惨な場所として描かれていますが、地獄もひとつの社会と見なせば、そこを運営する人(鬼)手は必要でしょう。有能ゆえに悩みの多い鬼灯に共感してしまう人も少なくないはず。連載が進む中で人間だった頃のエピソードが明かされており、彼が発するきつい言動の原因が垣間見えます。NHKの大河ドラマ『豊臣兄弟!』では秀吉の補佐役となった秀長にスポットが当たっていますが、仕事をさぼりがちでどこかのんびりとした閻魔大王の良き補佐役として鬼灯はふさわしいと思います。
■『鬼桐さんの洗濯』(ふかくさえみ/2017年~)
都内某所にある「洗濯屋鬼桐」。そこに女子大生となって上京した柊木茶子(ひいらぎ ちゃこ)がアルバイトを始める所から話が始まります。ただし店主である鬼桐シオ子が鬼と知ってしまったことで、茶子は洗濯を足がかりとして魔界や鬼界、天界へと、どんどん深入りしていきます。妖怪などが着た衣服に残って落ちにくい憑依染(ひょういじ)みが見えてしまう茶子の特殊能力が役立ったうえに、茶子自身も洗濯スキルをグングン上げており、連載が進むとクリーニング師の資格に一発で合格するほどです。
神仏や魔物がこっそりと人間世界で暮らす漫画はいろいろありますが、洗濯という特技を持った鬼を描いているのがユニークな特徴です。シオ子の一族が洗濯屋を始めるきっかけも、連載が進む中で明らかにされており、一筋縄ではいかないしがらみが鬼界にもあるのだと思い知らされます。洗濯スキルが上がった茶子は、もはや支店のひとつも任せられると思うのですが、シオ子と良いコンビなので、このままずっと働き続けるんだろうなと思ってしまいます。
■『酒と鬼(おんな)は二合まで』(原作:羽柴実里、作画:zinbei/2021年~)
国文科の女子大生である志田波織(しだ なおり)。バーテンダーだった祖父に憧れて同じ職業を目指す彼女が、飲み会で同じ大学で英文科を専攻する伊吹陽奈多(いぶき ひなた)と出会ったことで運命が大きく展開。一見、金髪ギャルの陽奈多ですが、実は酒呑童子を先祖に持つ鬼の末裔であり、お酒を飲みすぎると2本の大きな角が生えてきます。それでもお酒が大好きな陽奈多は、波織に専属のバーテンダーになるよう頼んでしまいます。
「きれいな花にはとげがある」の言葉通り、きれいな金髪ギャルにも2本の大きなとげ(角)がありました。もっとも、とげを脅威と見るか花の魅力と見るかで変わってくるように、波織は激しいキスと「あたしのバーテンダーになってよ」の言葉で陥落。元より、波織がバーテンダー志望として飲み手を欲していたことから、見事な凸凹コンビが完成しています。もちろん、その後に様々な障害が現れるのですけれども、2人で力を合わせて乗り越える様子は見事です。
3つの漫画で学べるポイント
「鬼」の正体には諸説ありますが、一説として日本に漂流した外国人でないかとの見方があります。古今東西の鬼に共通するイメージとして、大柄な体格、黒くない髪色や瞳の色、さらに伸び放題の髪や髭であれば、異形の鬼と見ても仕方ないかもしれません。
『鬼灯の冷徹』では、人間社会と大差ない地獄社会で生活する鬼達が生き生きと描かれています。補佐官として地獄で大きな顔をしている鬼灯が現世にこっそり潜り込む二面性は見逃せません。漂流したあげくに「鬼」と見られた外国人も、祖国に帰ることができれば普通の一般人に戻れるはず。もっともロビンソン・クルーソーのように、祖国に戻って生き生きと暮らせるようになった漂流外国人は少なかったと思いますが。
『鬼桐さんの洗濯』と『酒と鬼(おんな)は二合まで』は、どちらも人間世界で暮らす鬼達を描いています。ただし、様相は2作で大きく異なります。どちらも鬼であることは隠しているのですけれども、特技を活かして堂々と営業している鬼桐シオ子らと、なるべく身を潜めて生きる伊吹陽奈多ら。鬼桐シオ子の方が幸せそうに見えるのは必然でしょう。もちろん茶子ら周囲の人々に受け入れる度量があってのことですけれども。
まとめ – 多様性を受け入れることができるか
何かにつけて「多様性の時代」と言われることの多い現代。しかし、自分と異なる価値観を受け入れるのは、言うほどそう簡単に行きません。と言うより、多様な見方や考え方を受け入れることが難しいからこそ、今でも世界のあちらこちらで大小の争いごとが絶えないのでしょう。それでは、どうしたら良いのでしょうか。
守るべき伝統や風習はしっかりと守って、変えるべき部分は時間をかけてでも変えていく。そんな柔剛一体の心がいつの時代にも必要だと思います。もっとも、いつでもどこでも身勝手な主張を押し付けてくる一方の人達がいるのも事実です。そうした「鬼」のような人達には、しっかり「NO」と言った方が良いでしょうね。
(執筆: 県田勢)
